とやし鉄道

主に鉄道関連の車両とか面白そうな話題について解説します。 引用はウィキペディア多め。

Model_5000-Aluminum_of_Teito_Rapid_Transit_Authority
東京メトロ5000系は東西線を中心に活躍した車両である。近年では千代田線綾瀬支線での活躍が印象的であり、現在も綾瀬車両基地で保管されている。
1年前に東京メトロ公式がアップロードした動画では元気な姿を見せている。

そんな5000系であるが、実は2010年まで東西線の車両が残っていた。その5000系は営団地下鉄でアルミ車体を初採用した車両であった。このアルミ車体は後継車両に当たる05系、07系にも採用され、最新鋭の17000系にも採用されている。Tokyo-Metro-Series17000_17105
1966年に竣工したこの5000系は2007年に廃車となった後、教習用車両として残存していた。(営団地下鉄初のアルミ車体を採用した車両であるという観点から保管されていたというのもあったのかもしれない)
しかし、そのような歴史的観点が考慮されることなく、2010年に残念ながら解体されてしまった。これにより東西線から5000系は消失してしまった。
画像引用元
Lover of Romance氏撮影

MaedaAkihiko氏撮影

参考サイト

 

c0c6a863
東京メトロ03系は1988年に登場した通勤電車である。東京メトロの前身、営団地下鉄時代から日比谷線で活躍を続け、途中5扉車の導入、東急東横線からの直通廃止などを経るも、2020年オリンピックを前に引退した。

先に日比谷線から引退していた東急1000系と同様、18m級車体の需要は高く、3社に譲渡が行われた。

この譲渡の際、短期間ながらも東京メトロ時代の姿を色濃く残した状態で運用されていた。その姿こそが幻の姿である。

熊本電鉄03系

熊本電鉄03形は03系初の譲渡車であり、東京メトロにとっては01系に次ぐ、2度目となる車両譲渡が行われた。熊本電鉄への譲渡に際し、スカートの装着、パンタグラフの増設、モーターの搭載、ワンマン運転に伴い必要な設備が搭載された。しかし、最初に導入された03形はスカートの装着は行われないまま運用に付いた。2両編成、パンタグラフの増設、ミラーの設置で外観が大きく変わっていたにも関わらず、帯色変更が行われていなかったため、東京メトロ時代にはありえない姿となり、異彩を放っていた。

20194月に運行開始し、7月まではスカートなしのまま運用されていた。わずか4か月のみの姿であったが、印象に残る活躍であった。

ちなみにこの後に導入された03形はスカートがつけられた状態で試運転・営業運転が行われたが、2021年3月に03形2本目となる32編成のスカートが外され、他の03形とともに撮影会が行われている。




画像引用元
Hidechan303氏撮影

Series201_Kansai-Line
JR西日本における201系は1983年から運行を開始した。当初の運行路線は東海道・山陽緩行線で使用された。その後、207系や321系の進出により、大阪環状線を中心に活躍する森ノ宮の車両と関西本線・おおさか東線を中心に活躍する奈良の車両と2つに分かれて転属した。
森ノ宮の車両は323系の導入により、大阪環状線からは撤退し、一部の車両がおおさか東線延伸による増強分として転属してきた。JR東日本に現存していた201系も撤退し、唯一の201系となった奈良の201系。
しかし、2020年度から221系の奈良転属が開始されることとなった。この221系は225系100番台の増備によって東海道・山陽本線から離脱した車両であり、奇しくも同じ路線を走った物同士の置き換えとなった。(緩行線と快速線と違いはあるが)2022年3月のダイヤ改正でおおさか東線の運用を撤退し、2023年度までに関西本線での運用も終了する予定だ。
関西で活躍する希少な国鉄形となった201系。早い内に記録したいところだ。

画像引用元
MaedaAkihiko氏撮影

 

Chiba_monorail_1000
千葉都市モノレール1000形は1987年、1991年、1993年、1998年ー1999年に新製された車両である。20世紀終盤になってもVVVFではなく、一貫して抵抗制御で新製された車両であった。
しかし、2007年・2008年に余剰廃車が発生し、2012年からは0形導入により置き換えが進んだ。2022年ー2028年にかけて置き換えが進む予定である。
1000形で現存するのは8本のみとなっている。すでに1・2次車は引退しており、3・4次車が残る。今まで廃車になった車両は一部が保存された。保存車界隈においてもこの車両の話題が出てくるかもしれない。

画像引用元
 ↑PON氏による撮影

JNR_Mc103-18
1.103系 クハ103 18
クハ103 18は1965年に製造された。元々蒲田電車区に在籍しており、京浜東北線で活躍していた。1977年に神領に転属し、中央本線で使用され、2001年に廃車となった。その後、現在に至るまで留置が続いている。

JR_Central_Kiha_30_51_at_Toba_Station_19880402
2.キハ30 51
キハ30 51は1965年12月に製造された。加古川に新製配置されていたが、
2008年3月に廃車となった。1984年に亀山、1986年に伊勢に転属した。1989年にキハ11形が導入されたことで廃車となった。その後も保留車扱いを受けていたが、2008年に廃車となった。


Toki4837
3.トキ900 トキ4837
トキ4837は1943年ー1946年に製造されたトキ900形の1両。1959年にトキ900は全廃となって、保存車は存在しないと思われたが、浜松工場の構内作業車両の足回りがトキ900形トキ4837であったと判明。2000年に喪失した車体を復元させ、浜松工場時のイベントでは展示車両となっていた。しかし、2011年に美濃太田車両区に陸送されて現在に至る。せっかく復元した車両なのに放置状態にしてしまうのはもったいないと感じてしまう。

1200px-2010-08-29-kiha58-787
15.キハ58 787(写真中央)
キハ58 787は1966年5月に製造された車両。池田機関区に配置され、北海道で活躍した後、美濃太田に転属した。急行のりくらで使用された後、伊勢に転属し2001年に廃車となった。希少なキハ58の1両なのでキハ30共々何らかの活用法を見いだしてほしい。

画像引用元
1枚目
永尾信幸氏撮影

2枚目
Suikotei氏撮影

3枚目
Rsa
氏撮影

4枚目
TRJN氏が撮影


このページのトップヘ